おしゃれさんの忘れ物——時を越えてきた、小さな物語
グランドツアーについて調べていたとき、旅をしたのは男性だけではなく、年上の女性に伴われてヨーロッパを巡った若い女性たちもいたことを知りました。
まずはパリで旅のための身支度を整え、それから芸術の国イタリアへ。
そんな歴史の小さなかけらに、自由な想像を重ねて生まれた物語です。
19世紀の終わりごろ。
ひとりの若い女性が、年上の婦人に伴われ、長い旅へ出ることになりました。
最初に訪れたのは、パリ。
これから始まる旅にふさわしい装いを整えるため、二人は帽子店や仕立屋が並ぶ通りを歩きました。
少女が選んだのは、つばの広い帽子と、柔らかな色のリボン。
小さなバッグに、細い持ち手のパラソル。
どれも少しだけ大人びて見えて、鏡に映る自分の姿に、少女は何度も微笑みました。
旅支度を終えた二人は、汽車に揺られ、アルプスを越えてイタリアへ向かいました。
石畳の道。
天井まで絵で満たされた教会。
窓から差し込む光にきらめく、色鮮やかなモザイク。
少女は初めて見るものすべてを、小さな手帳に書き留めました。
ある日、細い路地の奥にある店で、小さなミクロモザイクと出会いました。
掌にのるほど小さいのに、色とりどりのガラスが隙間なく並び、その中には花が咲いていました。
長い時間をかけて作られた、小さな世界。
少女が顔を近づけた、そのときです。
ガラスの一粒が、光を受けて強く輝きました。
眩しさに目を閉じ、再び開くと、少女は見知らぬ駅に立っていました。
赤い煉瓦の壁。
高く丸い天井。
見慣れない服を着て、足早に行き交う人々。
そこは、少女の時代から遠い未来の東京駅でした。
けれど少女は、不思議と怖いとは思いませんでした。
ここもまた、長い旅の途中で訪れた、名前を知らない街なのだろう。
そう思い、ゆっくりと歩き始めました。
美しい天井をもっとよく見ようと、少女はベンチに小さなバッグを置きました。
天井の模様に夢中になり、そのままバッグを忘れて歩き出します。
広場へ出ると、風が吹き抜け、帽子を飾っていたリボンが、するりとほどけました。
柔らかなリボンは風に舞い、赤い煉瓦の片隅へ。
けれど少女は、目の前に広がる未来の街に心を奪われ、気づきません。
しばらく歩いたところで、空から細かな雨が落ちてきました。
少女はパラソルを広げましたが、すぐに雨はやみ、雲の間から光が差し込みました。
濡れた石畳の輝きに見とれ、傍らに置いたパラソルのことも忘れてしまいました。
やがて遠くから、鐘の音が聞こえてきました。
それは、元の時代へ帰る列車の出発を告げる音だったのかもしれません。
少女が振り返ると、あのミクロモザイクと同じ色の光が、駅の中にきらめいていました。
光を追いかけようとしたとき、ひときわ強い風が吹き、つばの広い帽子が飛ばされました。
少女は手を伸ばしましたが、その指が届くより早く、身体は光に包まれていきました。
そして次の瞬間、少女の姿は消えていました。
あとに残されたのは、
小さなバッグ。
柔らかなリボン。
細い持ち手のパラソル。
そして、つばの広い帽子。
どれも遠い昔のものに見えるのに、色鮮やかで、つい先ほどまで誰かが大切に使っていたようでした。
少女は、無事に元の時代へ戻れたのでしょうか。
自分の持ち物を未来の街へ忘れてきたことに、いつ気づいたのでしょう。
もしかすると今も東京駅のどこかに、あのおしゃれさんの小さな忘れ物が、ひっそりと残っているかもしれません。
作品から生まれた物語
バッグ、パラソル、リボン、帽子。
四つの小さな作品を並べて眺めているうちに、「これは、いったい誰の持ち物だったのだろう」と想像が広がりました。
グランドツアーを旅した女性たちの歴史と、東京駅を歩くひとりの少女の姿。
史実の小さなかけらに想像を重ねて生まれた、「おしゃれさんの忘れ物」の物語です。
遠い時代の面影をまといながら、今、新しく生まれた小さな宝物。
いつの日か誰かの手に渡り、そこからまた、新しい物語が始まるのかもしれません。

